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常識とは

学生の指導をしていると、話が噛み合わないときがある。 そういうとき、これはもしや"常識"がないということなのではないかと最近では考える。 常識という言葉には、これまでの経験上噛み付いてくる人が結構いる。 「それはあなたの常識であって、私の常識ではない」 こう言われてしまうと元も子もないのだが、果たしてそれは常識と言えるのであろうか。  常識とはそもそも新明解国語辞典によると「健全な社会人ならもっているはずの、ごく普通の知識・判断力」とある。 噛み付いてくる人はおそらく、この"健全な社会人"に反応しているのだと思う。 話している相手が前提としている常識が自分とは違う時、 間接的に"健全な社会人"ではないとの烙印を押されている気持ちになっているのではないか。 私自身は、国語辞典の"常識"は、たしかにかなり主語が広いような気がしている。 おそらく親戚、学校、サークル、職場、など所属する組織ごと、または児童、学生、社会人などの社会的地位ごとにも常識は存在する。 それを踏まえた上で、人はどの常識の中で物事を判断すべきかを考えるべきだと思う 例えば就活中の大学生であれば、就活で相手にするのは日本中の大学生であり、採用する側の社会人である。 そういった時、個人の思いであったり自分の大学の中での常識を振り回しても、それは相手にされない。 つまり、 「どの土俵で勝負をするかによって常識を切り替える」 そういったことが必要なのではないか。